「目玉を貸してあげるなんてずいぶん豪気なこと」 魔女の先導で山の麓の池へ向かう道中、闇夜に飽いて話題を求めた彼女が口を開いた。闇が揺らいで姿の見えないトバリが苛立っているのがわかる。夜護りは暗闇に溶け込むトバリの頭を撫ぜながら、 「目玉ごと貸したわけではないのですが、いつの間にかなくなってしまっていたのです。恐らく使わなくなった私に腹を立てて家出をしてしまったのでしょう」 「夜護りの目ともなれば引く手あまただろうから家出した目玉を探すのは一苦労ね」 そう言って魔女はいたずらっぽく笑った。 夜護りはその名の通り『夜を護る』仕事を生業とする魔術師のことで、大体一つの山と三つの森を一人の夜護りが担当している。かつて夜がもっと広く深かった時代は、夜を住処とする生き物から夜に働く人々を護ることが仕事だった。光魔法の発達に加え魔法を使えないものも扱える明かりが増え夜の狭くなった最近では、夜を照らす光から夜の住人たちを護ることが主な仕事となっている。そんな夜護りの目は夜でも昼間のように鮮明にモノを映し出すと言われ、また何の魔術も使わなくとも夜の住人たちを視認できると言われている。 ランタンを先に行かせてずんずん道を進む魔女に早足で追いつくと夜護りは少し上ずった声で、 「目玉も探していただけるのですか?」 「あたりまえでしょう」魔女は立ち止まって夜護りの顔を見上げた。「私は失せ物の魔女。失せ物の魔女に見つけられないものなんてこの世には何一つないのだから」 「ありがとうございます……」 魔女の言葉に夜護りの胸が熱くなる。 「ところで、目玉ごと貸していないとはどういうこと?」 魔女はまた前を向いて歩きだした。夜護りもそれに続く。 「私が夜にお貸ししたのは視るという行為です。視力や目玉といったものではなく、視るという力そのものです。ですから、家出した目玉も恐らくそこらの闇に潜んでいることでしょう。いくら夜護りの目とはいえ、何も映し出さないのですから拾ってくれる人はありませんよ」 「なるほど。しかしそれじゃあ、あなたいまはどうやって夜を見ているの」 「私自身は何も見えませんが、このトバリが目を貸してくれるのです。この子は夜の使いゆえ夜の間しか見ることは出来ませんが、夜護りの仕事に支障はありませんから」 照れくさそうに闇に消えたトバリの頭をなでる夜護り。魔女は「ふうん」と声を漏らすと足を止めた。
山の麓の小さな池の畔は少し開けていて、森の道よりよほど広い空が広がっていた。天を仰ぐと月はすでに西の空に傾いていて、月の去った東の空には星々が踊っている。 魔女を探しているときのように周囲を見渡す夜護り。 「このようなところに来て、どうやって夜を探すんですか?」 「あなた夜についてどのくらい知っているの?」 ランタンを池の縁に置いて魔女はその隣に腰を下ろした。それに倣って夜護りもランタンを挟んだところに腰を下ろす。目には見えないがトバリも更にその隣りに座っていることだろう。 夜護りは口元に手を当てて、少し考え込んでから口を開いた。 「夜は夜の内いつでもそこに居て、いつだって見つからない。夜護りにはそう言い伝えられています。そもそも夜とはこの時間そのものなのですから、見つけ出す必要だってないものですが……」 「全くそのとおり!」魔女はニヤリと笑う。「夜とはこの時間、空間、温度に匂いそのもの。だからそう、いまもこの隣りにいる。でも夜はあんまり大きくて広くて、どれを聞いてどれを見てどれに答えたらいいのかわからない。夜に呼びかけたって、夜にとっては喧騒の中で一人の話を聞こうとするようなものなんだよ」 魔女の話に夜護りは眉をひそめる。 「では、何故このようなところまで歩いてきたのですか?」 夜護りの言葉に魔女は天を仰いで、 「月が空にあって星が煌々とひかり、山の稜線が夜空にぼんやりと浮かんで、黒々とした森に囲まれた池の水面にそれらが映り込んでいる。夜っぽいでしょう」 両手を広げてとうとうと語られるその言葉に夜護りは首をかしげる。 「ここが夜っぽいのですか?」 夜に生き夜を護ることを生業としている夜護りにとっては夜といういまこのときであれば、どこもかしこも夜っぽいところだった。魔女は「ああ」と唸って 「夜護りにはぴんと来ないか。それも仕方のないことね。でも大丈夫、ここで呼んだら夜は必ず答えてくれる」 「そうなのですか……? 私は長く夜護りをしていますが、目をお貸しして以来夜にはお会いできていませんよ」 訝しい表情で夜護りは魔女の顔をない目で覗き込む。魔女は大きくうなずいて 「来るよ。ああいった存在はそれらしいということに拘っているんだ」 寂しげに笑った。