マフィアの薬に手を出そうと言いだしたやつは誰だっけと、誰のかわからない血液で生ぬるい地べたに転がって考えていた。 諸悪の根源を思い出した頃にはそいつの頭は背の高い乱暴な男に踏み潰されていた。
朦朧とする意識の片隅で何かがオレの腕を引いているのを感じた。 目玉だけそちらに向けると、これだけ埃と血しぶきの舞う場において異様なまでにきれいな手がオレのくまのぬいぐるみを掴んでいた。 傷一つない手で頭を鷲掴みにしているのがいやに不快で、オレは残った力を振り絞ってわずかにくまを引き寄せた。 「ん?」 声が降ってくる。その手のように美しくて低く響く男声は、その手のように全く感情が見えなかった。
オレたちのアタマを文字通り潰した大男が、巨大な手でオレの頭を掴んで持ち上げた。 大男に掴まれている髪の毛を頼りに折れた足でなんとか立ち上がると、いつの間にさらわれたのかオレのくまを抱えた男と目があった。 母の職場周りでは、よくきれいだとか美しいだとか言う形容詞が飛び交っていた。 彼女たちが美しくきれいなのだとしたら、この眼の前の男はなんと形容したらいいのだろう。 「エミーリオ」 久しく呼ばれていなかったオレの名を形の良い唇が紡ぐ。赤く染まった世界が歪み霞む。 「私と一緒に来てくれたら、また名前を呼んであげるよ」 涙で歪んだ世界でなお美しいその男は、脳のずいまで溶かすような優しい声でそうささやいてふっと笑った。
ボスを形容するにふさわしい言葉を見つけられないまま、オレは服屋につれてこられた。 ゴミ捨て場を漁って生きていたオレには、どれも上等な布できれいに縫製された服ということ以外違いがわからない。 「それいいじゃん。それにしようか」 「そ、そう……?」 「そうだよ。ああ、脱げないなら手伝おうか?」 鏡越しに見る笑った顔は四角く縁取られているせいで余計に絵画のように美しさが際立っていた。 この美しい顔をこれだけ見ているのだから、オレの目は遠からず潰れると思う。
「おいこらお前ら事務員の腕を折るやつがあるか!」 服を着せられ連れてこられた先には精悍な顔立ちの男がひとり待っていた。 事務員……が何をするのかはわからないが、この男もきっと何人もその手で屠ってきたのだろう。油断できない。 「おい、お前」 一頻りボスと大男を叱りつけると彼はオレの方に向き直り、机にゴトゴトと銃と四角い機械を置いた。 「銃と電卓、どっちから覚えたい?」
「領収書の束に顔突っ込んで寝るやつがあるか……ったく……」 「毛布かけてあげるなんてアル優しいー」 「茶化すぐらいなら上様はやめろ」 「……アルって私たちといいエミーリオといいよその子の面倒ばっかり見てるよね」 「話をそらしたいならもっと良い話題にしろ、ボス」
合法的に酒が飲めるほどの歳まで生きていられるとは思わなかった。 事務仕事にもタバコの苦味にも慣れ、一人で書類を整理できるようになったオレに珍しく外出の用意をしているアルデラーノさんが眉間にシワを寄せて、 「あー……家族が泊まれるような部屋、取っといてくれ」 そう言って部屋を出ていった。 ボスたちには及ばないが、この数年共に過ごしたオレにもわかる。アルデラーノさんはなにか嬉しいことを隠してる。
居場所が探られるからと滅多に使われない電話が鳴るのは悪い知らせと決まっていた。 「……ああ、エミーリオか。子供服の店ってまだ開いてるか?」 電話口から聞こえてきたのはやけに落ち着いた声音のアルデラーノさんの声だった。 すぐに近場の電話帳をめくり調べるが、あいにくこの時間では全てしまっている。 「そうか……いや、そりゃそうだな。これから帰る」 通話を終えられると思い、先に頼まれた件について訊ねようと慌てて口を開いた。しかしオレが訊くより早く 「ああ、部屋は必要なくなった」 感情が抜け落ちたような淡々とした声が聞こえた。
それから一時間ほどして、女の子らしい色の毛布にくるまれた小さな女の子を抱えたアルデラーノさんが帰ってきた。 服の乱れもなく膝から下に土埃が多少ついただけのアルデラーノさんは、ひどく疲れた顔をしていた。 ぎこちなく頬を持ち上げて、 「前に話したろう。孫娘のエルダだ」 毛布の中で健やかに眠る少女の顔をオレによく見せてくれた。
エミーリオくんの歴史。 一度も名前が出てませんが大男はカルロです。 あとヴェラやダリアもほぼ同じ時期にトラ組に参加してますがエミーリオとの接点はほぼないので出てきません。 ちなみにエルダは状況がつかめるとまもなく口がきけなくなるし食事もとれなくなります。 エルダもエミーリオもよく育ったね……。 2021.03.09